アル ゴア

アル ゴアアルバート・アーノルド “アル” ゴア・ジュニア(Albert Arnold "Al" Gore, Jr., 1948年3月31日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。環境問題の論客として知られ、ビル・クリントン政権の副大統領を1993年から2001年まで務めた。彼は2000年に大統領に立候補した。全国一般投票では共和党候補ジョージ・W・ブッシュより得票数で上回ったが、フロリダ州での開票手続きについての問題の後、落選が決定した。 彼の企画した情報スーパーハイウェイ構想に刺激されて、インターネットが爆発的に普及したことは有名である。また、クリントン政権の末期にナノテクノロジーに興味を示し、この研究に対して資金援助した。これが、ナノテクノロジーが世界的に注目されるきっかけになった。 現在では、1970年代からのライフワークとなっている地球温暖化問題について世界的な啓発活動を行っており、この講演の模様をドキュメンタリー化した『不都合な真実』は衝撃をもって受け止められた。

生い立ちと家族
ゴアはアルバート・ゴア・シニアとポーリーン・ラフォンの息子としてワシントンD.C.で生まれた。父親はテネシーのベテラン民主党上院議員で、ゴアは、ワシントンD.C.とテネシー州カーセッジ(Carthage)で幼少期を過ごした。学生時代ゴアはワシントンのホテルに住み、セント・アルバヌス・スクールに通学した。夏季休暇中はカーセッジで暮らし、家族の農場で働いた。

1965年にハーバード大学に入学し、政治学を専攻した。当時の彼のルームメートは後に俳優として知られるトミー・リー・ジョーンズであった。彼は1969年の6月にハーバードを文学士として卒業した。

1970年にメアリー・エリザベス・アチソン (ティッパー・ゴア Tipper Gore)と結婚した。彼らは高校時代にテネシーのダンスパーティで出会い、結婚後は四人の子供をもうけた。カレナ (Karenna 1973年8月6日 - , ドルー・シフと結婚した)、クリスティン (Kristin 1977年6月5日 - )、サラ (1979年1月7日 - )およびアルバート3世 (Albert III 1982年10月19日 - )。ゴアにはさらにワイアットおよびアンナ・シフという2人の孫がいる。

ゴアはナッシュビルの郊外に住み、カーセッジの近くに小さな農場を所有している。一家はカーセッジのニュー・セイレム・ミッショナリーバプティスト教会に通っている。2005年、一家はサンフランシスコのセント・リージスにマンションを購入した。

ティッパー夫人に関する逸話
ティッパー夫人は1984年頃プリンスのアルバム『パープル・レイン』を自宅で聞いていたがその中の収録曲「ダーリング・ニッキー」があまりにも卑猥なものなのに憤慨して「問題のある内容のレコードにウォーニング・ステッカーを貼る事を義務付ける法案」を連邦議会に提出したのは有名。ちなみに公聴会でフランク・ザッパから「文化に対するテロリストだ」と非難されている。

その後、Parents Music Resource Center(通称、PMRC)を立ち上げ、青少年に悪影響を与える映画、音楽、テレビ番組等を軒並み排除する行動に出ており、特にヘヴィメタルのような音楽は槍玉に挙げられており、一部のアーティストやヘヴィメタルファンにティッパー夫人のアンチが多いことは有名である。

政治経歴
1976年の春、ロースクールを退学したゴアはテネシー州の選挙区から下院議会選挙に出馬し、当選した。3回当選を重ねた後の1984年には下院に出馬せず、上院議会選挙に立候補して当選し、1992年にアメリカ合衆国副大統領に選出されるまで務めた。

1988年に大統領予備選に出馬するも民主党から公認は得られず、マイケル・デュカキスに譲っている。

1989年4月3日、当時6歳の息子であるアルバートがボルティモア・オリオールズの開幕戦から帰る途中交通事故に遭い、瀕死の重傷を負った。これを受けてゴアは、大統領予備選に向けてクリントンに対抗する基盤作りよりも息子の回復を見守ることを選んだ。そして、その間は環境保護を訴える本(Earth in the Balance 邦題:『地球の掟』)の執筆を行い、それがニューヨークタイムズによるベストセラー本のリストに入った。これは、現職上院議員が著した本としてはジョン・F・ケネディのProfiles in Courage以来のことであった。

副大統領職
ビル・クリントンは、1992年アメリカ合衆国大統領選挙にむけて1992年7月9日にゴアを副大統領候補に選んだ。大統領選に勝利した後、ゴアは1993年1月20日に第45代副大統領に任命された。そして、クリントンと共に1996年アメリカ合衆国大統領選挙で再選され、二期8年間副大統領職を務めた。

在任中、ゴアは専ら表舞台には現れなかったが、多くの専門家は、彼をアメリカ合衆国の歴史上、最も活動的で多大な影響力を持った副大統領の一人だと考えている。彼の副大統領としての主な業績としてはまず、国家運営の検査と評価が挙げられる。彼は、連邦政府の浪費、不正行為などの問題点を指摘し、官僚機構の規模の縮小や規制の撤廃の必要性を強調した。後に、これに関するゴアの改革案[1]が連邦政府の規模縮小に繋がった。

1993年には、ラリー・キングがホストを務めるCNNの番組で自由貿易問題についてロス・ペローと討論を行った。この討論の後に行われた世論調査では、大部分のアメリカ人が彼の視点に賛成し、NAFTAを支持していた。この討論会でのゴアの主張の浸透によって、NAFTAへの加盟案が下院議会を234対200の僅差で通過したとする者もいた。

副大統領として、ゴアは全米の学校と図書館をインターネットに接続させる連邦政府プログラムを立てた。これは、彼がその数年前から練り始めていた案の集大成であった。実際、上院議員の在職期間中に、ゴアは情報スーパーハイウェイ構想を推進するべく、連邦政府によるコンピューター教育研究センターの設立を要求する法案を提出していた。そのことが後に「ゴアがインターネットを発明したなどと主張している」といったような反対勢力からの浅はかな嘲りを生む材料となる。

また、在職期間の前後を問わず、彼は環境保護も強く訴えていた。彼は世界中を何度も事実調査団として回った。

2000年の大統領選
詳細は2000年アメリカ合衆国大統領選挙を参照

共和党のジョージ・ウォーカー・ブッシュ候補と接戦の末、敗北している。

敗北についての推測
アメリカのテレビ会社FOXニュースを解雇されたニュース・リポーターなどが集まり2004年に制作したドキュメンタリー映画「Outfoxed」の中で、マスメディアが2000年の大統領選において情報操作を行った事実とその結果が語られている。

内容はFOXニュースがフロリダの選挙結果が出る前に「ブッシュ当選確実」の速報を出してしまった事が、ゴア候補の敗北に繋がったというものである。ビデオでは「当確」の背景に父親のブッシュ元大統領とFOXニュースの経営陣、大株主達の関係がレポートされ、その事実に迫っている。

他のマスメディアには確信出来る情報が無かったが、情報・ニュースの遅れを気遣うあまりFOXニュースに追従した。これについても他のテレビ局で大統領選報道に関わったリポーターにインタビューしている。しかし、告発ビデオを制作したリポーターは他の放送局も敬遠し、業界から排除されたため信憑性に疑問も残る(この指摘についてはマイケル・ムーアの項も参照)。

よく見られる一般的な分析ではブッシュとの公開ディベートにおいて政策面で、はるかに実力のあるゴアがブッシュを徹底的に負かしたことで、その勝ち誇った姿が逆にゴアに対して悪い印象を与えてしまったとされている。しかしこれも、得票数ではゴアがわずかに上回っていることから、決定的な要素とは言い難い。要するにそれほどの接戦だったのである。

一般市民として
2001年2月、コロンビア大学ジャーナリズム大学院の客員教授およびInstitute for Child and Family Policy の客員スカラー就任。 2003年3月19日、アップルコンピュータ取締役に就任。2005年4月4日、ケーブル・テレビ局「カレントTV」を立ち上げると発表した。テレビから離れた若者を対象とし、インターネットとGoogleとビデオ・ブログを駆使した構成になっている。放送開始は2005年8月1日。アメリカ合衆国では、主要ケーブルテレビ局およびディレクTVのデジタル放送チャンネルで配信されている。 Googleのシニアアドバイザーやカリフォルニア大学ロスアンゼルス校、フィスク大学、ミドルテネシー州立大学の客員教授を務める。

2007年7月4日、ロサンゼルスに住むゴアの息子が高速道路を走行中に警察から速度違反で停止を命じられ、警官が車内を捜索したところ、大麻や向精神薬などが見つかり大麻不法所持などの疑いで警察当局に逮捕されたと報道された。

環境問題
アル・ゴアは1970年代から地球温暖化について関心を持っており、この問題には造詣が深い。ここ数年は、世界中で地球温暖化防止についての関心を高める運動に精力的に参加している。彼の地球温暖化についてのスピーチは高く評価されており、ゴアは講演を少なくとも1000回行っている。

ゴア自身と家族はハイブリッド車を所有している。

2004年終わりごろ、ゴアは伝統的な利潤の追求に加え、社会や環境に対する責任を負うコーポレートガバナンスを要求する新しい投資のスタイルに対する需要に応えるべく、気候変動など深刻な地球環境問題に対し責任ある立場をとる企業を対象にした投資会社「Generation Investment Management」を設立し、同社の会長に就任した。

2006年、アル・ゴアは、デイビス・グッゲンハイム監督の地球温暖化に関するドキュメンタリー映画「不都合な真実 An Inconvenient Truth」(ローレンス・ベンダー・プロダクション、パーティシパント・プロダクション制作、パラマウント・ピクチャーズ配給)に出演した。この映画は2006年5月24日にロサンゼルス、ニューヨーク、バークリー、キャンベル、サンノゼ近郊の限られた映画館で公開された数日後に、全国で公開された。映画には、ゴアのもっとも最近の講演が含まれている他、ゴアの談話と研究が紹介されている。この映画に対する環境問題の専門家からの評価は概ね高く、すでに米国国内では600以上の映画館で公開されており2006年7月現在、ドキュメンタリー映画としてはアメリカ合衆国映画史上3番目の興行成績を収めている。しかしながら本作には事実誤認の存在の指摘や、データからの推論を誇大化し「センセーショナリズムに走っている」等の批判があり、一部の専門家からは内容についての疑問が投げかけられている。同作は2007年2月、第79回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。ゴアはまた、同名の本(ISBN 1594865671)も出版している。ちなみに2007年1月15日に来日し、松原武久名古屋市長と会談をした。

2007年1月14日放送の「筑紫哲也 NEWS23環境SP」に出演。世界と日本の環境問題について市民対話形式で語った。2007年2月3日放送の「世界一受けたい授業(日本テレビ系列)」に出演。環境問題に関する特別授業を行った。

その後、「不都合な真実」に関連して保守系団体のテネシー政策研究センターがテネシー州ナッシュビルのゴア邸のエネルギー消費量を調査し、月平均1,359ドル分の電力を消費、電気代とガス代をあわせると2006年は3万ドル近くを支払っていたと発表した[2] [3] [4] [5] (この団体がゴア個人の電気代やガス代の情報をいかにして入手したかは不明である)。保守派は「環境問題を唱えるならまず自分の生活を改めるべき」「これが本当の不都合な真実」と批判した。それにたいしてゴア側は、消費電力の殆どを風力発電や太陽光発電、メタンガスによる火力発電(Green Power Switchプログラム[6])でまかなっていると反論した[7]。イギリスでは「不都合な真実」を学校で公開しようとしたところ政治的活動であるとして保護者から告訴され、裁判所が9ヶ所事実誤認している場所があるとして是正措置を取るようにといった判決が出された[8]。

2007年10月12日、講演や「不都合な真実」での環境啓蒙活動が評価され、IPCCと共にノーベル平和賞を受賞することが発表された。しかし受賞に際しては、主張の一部が不正確であるとして批判も見られるなど論争も多い。副大統領時代の1994年にゴアは、温暖化に懐疑的な科学者の信用を落とすために圧力をかけたりメディアを利用したりしていたことが、テッド・コッペルのナイトラインという番組において明らかにされており、さらに1992年に出版された『地球の掟』においてロジャー・レヴェル博士から気象変化の問題を紹介されたと述べているが、レヴェルが論文に発表した内容との矛盾が指摘されており、当時別の論文に再掲載されることが決まっていた論文集からレヴェルの名前を削除するように要請を行い事実隠匿を試みるなど、ゴアの政治的な手法に関しては以前から問題視されていた[9]。

2004年の大統領選
一部に推す動きがあったものの、結局は出馬せず、民主党のディーン候補支持にまわった。