ジャマイカ

ジャマイカジャマイカは、中央アメリカ、カリブ海の大アンティル諸島にある島国。首都は、キングストン。 キューバの南、ハイチとドミニカ共和国があるイスパニョーラ島の西に位置する。イギリス連邦加盟国。英連邦王国の一国。

国名
正式名称は、Jamaica(英語: ジャメイカ)。

日本語の表記は、ジャマイカ。

国名は、先住民のアラワク族の言葉「ハマイカ」(泉の国)、Xamayca (ザマイカ)に因む。この言葉は、木と水の地を意味する。当初スペイン植民地となった際にスペイン語でJamaica(ハマイカ)と綴られ、後にイギリス植民地になると綴りは変えられずに読みだけが英語読みになり、Jamaica(ジャマイカ)と呼ばれるようになった。

歴史
詳細はジャマイカの歴史を参照

1494年、クリストファー・コロンブスは、2度目の航海において、ジャマイカ島を発見した。1509年に、スペイン領となる。スペインはこの地にサトウキビのプランテーションを設置して、先住民アラワク族を容赦なく酷使したため、その数が著しく減少した。スペインは西アフリカから黒人奴隷の輸入によって労働力を確保した。 しかし1655年、イギリス護国卿オリヴァー・クロムウェルの命を受けてのイスパニョーラ島攻略に失敗したイギリス海軍提督ペン(アメリカ合衆国のペンシルバニア州を創設したウィリアム・ペンの父)とベナブルズ将軍が、残存兵力を率いてジャマイカに侵攻し、ほぼ無血でこの島を占領した。その後1670年にマドリード条約によって正式にイギリス領になった。

港町ポートロイヤルを首府とし、イギリス海軍の司令部が置かれ、海賊や私掠船の母港となった。1692年の大地震で町が倒壊したため、北のキングストンに首府が移った。 さらにイギリスはジャマイカを拠点にしてカリブ海への影響力を強め、ニカラグアのモスキート海岸のミスキート王国や、英領ホンジュラスがイギリス領になったのもジャマイカからの圧力のためであった。 黒人奴隷や逃亡黒人の反乱は長い間続き、ハイチ革命の際にはトゥサン・ルーヴェルチュールによる侵攻の可能性もあったが、結局は実行されず、ラテンアメリカの独立時にもジャマイカが独立するような動きは存在しなかった。 1865年には英国の支配に対する大規模な黒人の反乱が起き、総督エアは召喚されてジャマイカは英国の直轄領となった。(ジャマイカ事件)1938年にジャマイカ労働党(JLP)が設立され、1958年から1961年まで西インド連邦が樹立。1959年にはイギリスから自治権を獲得し、1962年にイギリス連邦内で独立した。その後、保守のジャマイカ労働党と非同盟・民主社会主義政党の人民国家党が交互に政権に携わっている。近年は親米路線を踏襲している。